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けいとけーのメモ書き

私は絶滅危惧種です。燃やさないでください。

五線譜を改善してみた

結論から言うと、こういう、五線譜の改善版を作ってみた。

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作成経緯を、大げさにお話ししよう。

私がピアノをやっていたのは小3〜小5の3年間。パソコンでDTM(デスクトップミュージック。パソコンでやる作曲みたいなもの)をしていたのは、小5から現在大2に至るまでの10年間である(残念ながら断続的な10年間であるから、ぎゅっとしたら実質4年くらいだと思う。)

なので、五線譜にペンを走らせるよりも、パソコンにクリックした方が作曲の進みが早い人間だった。

 

DTMでは、ピアノロールと呼ばれる画面に音符を入力していく。横軸に音の高さ、縦軸に音の長さがグリットされてある。だから、四分音符はこう書くとか、16分音符はこう書くとか、小節をまたぐスラーはこう書くとか、そういった「音価」の表記法を知らないままに、作曲できてしまったのだ。音を長く鳴らしたかったら、音符をクリックしてドラッグすればいいだけの、簡単な話だった。

 

そんな人間が五線譜に直面したとき、なんて声を発するだろう。

 

中1のころの第一声は、「めんどくさいことしてんな」だった。

 

なんで、わざわざ音符一つ一つに長さを書き込まなきゃいけないのか。

なんで、線が足りないのに「五線」譜にこだわってるのか。音が足りなくなったりして、上や下に線を足しまくってようやく表記できるの、完全に制度的な欠陥じゃないか。ばかなの?

なんで、ヘ音記号ト音記号でドの位置が変わっちゃうのか。覚えることを増やしているだけで、一体こんなシステムで誰が得をするのか。

 

そういった不満があって、五線譜にはほとんど触れることはなかった。

 

 

 

五線譜にもう一度目を向けてみようと思ったのは、つい先日のことである。

 

一曲を作り上げる際、メロディのボツ案がその5倍は出る。そのボツ案が別の曲に使えると判明して以降、こうしたボツ案を逐一保存することにしたのだが、その数が最近膨大になり始めた。メロディー一つ一つ、デジタルファイルとして保存していたためである。

こうした保存形式は閲覧性に乏しい。なんせ、どんなメロディーが入っているかはファイル名からは想像もつかない。Aメロ用、Bメロ用みたいななんとなくの分類はしていたけど、ジャンルが違ったりして適合がうまくいかない。

そして、一つのファイルを開くのに、ちょっとした時間がかかる。開いてからしばらくソフトウェアの起動を待ち、再生ボタンを押した後に全部聞かなければならないのだ。

なにより、複数ファイルの比較がしにくい。どれがいいかなーと選択する作業を脳内でやらねばならない。例えるなら、試着室が売り場から200mくらい離れている上に、持ち込める服は一着しかない、みたいな状況である。比べるたびに売り場を往復して、脳内で着た感じを比較しなければならない。これでは作業がはかどらない。

 

なので、五線譜を改善して、アナログデータで扱うことにした。

改善したのは以下の点である。

・音が足りなくて線を追加するのはアホらしい

 →線を増やした。3オクターブ分確保している。

ト音記号ヘ音記号の違いで音が変わるのはアホらしい

 →ドを固定した。両端にドを示す黒点を打った。

・音ごとに音価を書くのはアホらしい

 →小節内に16分、8分3連の補助線を追加した。そこに丸を付けるだけで、音を鳴らす位置を明示できる。音を伸ばしたかったら、その分伸ばし棒を追加すればいい。

 

あとはChordと歌詞を書き込める場所を追加した。これでだいぶ捗る、気がする。

 

 

ピアノロール族の皆様、使ってみてください。

 

けいとけー

2年前に手に入れた、「東大学歴カード」をレビューしてみる。

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今日、新規購入者もたくさんいると思うので、レビューを書こうと思います。

 

 

★★★★☆ 賛否両論あるけど、カードとしては優秀な部類。

投稿者 けいとけー 投稿日 2017/3/30

 

2年前に、この東大学歴カードを購入した者です。

私はこのカードを買うために、死なない程度の死にもの狂いで勉強したことを覚えています。「絶対合格するから」とビッグマウスを周囲に振りまき、自分で作ったプレッシャーに打ち震えながら過ごした2年余りは、大変に辛かったです。

だからこそ、そうして手に入れた学歴カードには、高い値が付くと信じてやみませんでした。このカードは万能なカードなんだ、これさえあれば生きるのがずっと楽になるのだ、と。

 

そんなことはありませんでした。

飲み会に行けば、「どのタイミングでカミングアウトをするのが一番引かれないか」だとかを考え、序盤の自己紹介がふんわりします。作曲の現場に行けば、「東大生に曲なんか作れるわけないだろ、書類でも作ってろよ、俺らはクリエイティブなんだ!」という雰囲気の下(実際に言われたこともあります)、隠すしかありません。おまけに、最近のバラエティ番組の影響で、近所の安易なイジりを受けます。クソッ。

生活にまつわるデメリットばかり上げてしまいましたが、もちろんメリットもございます。学生証をかざさないと入れない東大図書館のプレミアム感が格別になります。あと、……えーとですね。ちょっと待ってくださいね、ひねり出しますから。えーと、……そうだ!ネカフェの会員証を作るときに学生証を見せびらかすタイミングがあります。それくらいなもんです。

 

世間が想像していたような効果は、ちっとも得られませんでした。

6月の駒場キャンパスには、学歴カードに対する失望感から、たくさんのカードが無残にも捨てられています。

 

でも思うのです。我々は、カード1枚に期待しすぎたんじゃないかって。

 

学歴カードは万能ではありません。学歴を手に入れたとてモテるわけでもありません。全ての能力が飛躍的に向上するわけでもありません。歌が上手くなるわけでも、ダンスが上手くなるわけでもありません。全身からキラキラオーラを放てるようになるなんて、微塵もありません。(放てていると思ったなら、それは体が脂ぎっているからです。シャワーを浴びてください。)

 

でも、この学歴カードにはできることもたくさんあります。

 

・東大生の友人ができます。今まで庶民向けにブレーキをかけてでしか円滑に成し得なかったコミュニケーションも、もう我慢することなく喋れます。「この話題は難しいからやめておこう」といった会話のブレーキは、もういらないのです。ブレーキを外して本音で話せる相手を見つけるには、結構いい環境だと思います。

・やっぱ学術的情報量は多いです。日本トップレベルの文献が調べ放題ですし、図書館も充実しています。本郷図書館の2階に通ずる金と赤の階段は、「これが図書館オブ図書館か...」ともいうべき威厳を放っています。シラバス自体も、自分が勉強したい分野ではどのような本を見ればいいのか分かる、優秀な文献リストになっています。授業に出なくても、学術レベルの高さを享受することができるのです。

・学歴カードを学歴カードとして扱ってくれる人・団体には、やはり影響力を持ちます。学歴フィルターに関しては考えなくてもよくなりますし、高学歴目当ての人間からの注目度は上がります。(その注目度をどのように活用するかは当人次第ですが。)現代日本においては、学歴カードを敬う人々は大変少なくなりましたが、それでも影響力は多少あって、普通の人なら取り合ってくれない案件も取り合ってくれる確率が、多少は上がります。

 

でもやっぱり一番大きいのは、これだと思うんですよね。

 

「カードが通用しない範囲を、体感できる」ということ。そして、世の中の「カード」に対して、冷静に見つめることができるようになる、ということ。

 

多くの人にとっては、この「東大学歴カード」が最初のカードになるでしょう。

そこでぜひ、「カードって無敵じゃないんだ」ってのを体感してほしいんです。

 

金持ちが「お金ではできないこと」を体感できるように、東大生は「学歴ではできないこと」を体感できます。

そうすれば、いくらかこの世の「カード」と名のつくものに対して、冷静な視線を向けられるようになります。

これは本当に大きい。

多くの人が、「カード」を1枚でも持つ者に対して、尋常なる嫉妬を向け、人生をマイナスな感情で埋め尽くしている中で、「カードを持っているあの有名人にもできないことがあるし、あの人はあの人なりに悩んだりしているんだろう」と思える。そうすれば、本当に前に進めるようになります。

 

これらの効果を含めて、「東大学歴カード」に星4つを付けました。もうちょっと安かったら星5つだったかな。

 

けいとけー

地頭王No.1決定戦&新しいアナログゲームを作った。《やってみたいけど実現しなさそうな企画を書く》

今度こそ本当に実現しなさそうな企画を書く。

 

 

こういうことを考えてみたい。

例えば将棋というゲーム。たとえ地頭が良くても、初心者が達人に勝つのは難しい。

それはなぜか。

それは、定石の知識だったり、失敗した経験だったり、そうした長年の経験の有無が、大きなアドバンテージになるからだ。その場の頭の回転やキレといった地頭だけでは、なかなか勝てない。

 

しかし、世の中が「地頭」と聞いて想像するのは、「長ったらしい語句が正解のクイズに答えられる」だとか、「辞書を丸暗記した」とかの、知識偏重な「長年の経験」寄りの頭の良さではなかろうか。その証拠に、"頭の良さ"を問うバラエティ番組で問われるのは、頭のキレではなく知識ばかりである。

 

むかつく。キレだけで競える、そういう楽しいやつが欲しい。

 

そうか。

 

だったら、経験が全く通用しないゲームをその場で発表して、トーナメント形式で競わせたら、地頭王No.1決定戦ができるじゃないか、と思いついた。

 

でもどうしよう、「経験が全く通用しないゲーム」...つまり、「この世で一回も発表されていないゲーム」を作らなければならない。要するに、自分で作らなきゃならん。

 

...作るくらいは自分でやるか。

 

 

ということで作った。

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先手・後手で一手ずつ指しあい、自分の王様が取られたら負けっていう、将棋に近いゲーム。簡単なルールを紹介する。

1.初期配置はさっきの写真の通り。

2.7種類のコマを使う。

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3.進める範囲は、円周上で黒く塗ってあるところの1マス。(黄色いチップは、進める場所を表しています。試合中には使いません。)

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ただし、変なコマがあって、太巻きみたいなコマはすげえ直進できる。(他のコマにぶつかるか、盤上から出ない範囲で。)また、いかにも乗り越えそうなコマは、一つ飛ばしに進む。

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4.相手のコマは取れて、自分の持ち駒にできる(ただし、とったところで止まらなければならない。)

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裏返すと自分の色になります。

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5.とった持ち駒は駒台に置いた後、盤面のどこにでも、また、方向を変えて打っても構いません。(正確には、自分のマスから8方向、好きな方向に打ってもいいってことです。)

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 こういうのもアリです。

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こういうのはダメです。

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6.すでに盤上にあるコマも、一手使うことで方向転換できる。(ただし、その場から動くにはもう一手必要。)

7.最終的に、相手の王をとった人が勝ちです。

 

で、このゲーム、将棋に似てるから、「長年の経験」をもつ将棋経験者が有利なんじゃないかとも思うでしょ?

個人的にテストプレイをしたんですが、「定石」は全く使えません。(格言は多少使えちゃうかも。)まず、穴熊や美濃が固いかどうかもわからない。そもそも囲いって何?って感じ。「成る」とかもないので、歩を垂らすとかもできない。その場で読む、頭の回転で戦うしかない。

そして何より、むっちゃ考える。1手先も読むのが難しい。相手はコマを打ち込んでくるかもしれないし、なんせ、「コマは回転させることができる」というルールのおかげで、何が起きるか膨大な選択肢がある。直観力も必要になってくる。

あと、王を詰ませるのはすごく楽しかった。矢印がそのまま詰み筋として見える(風向きを示す天気図みたいに。)ので、終盤の攻防はエキサイティングだった。

 

こういうゲームを、その場で発表し、丸一日かけて戦って、できれば賞金とかも出せたらいいなと思った。

でも、このゲームを用意するのがすごく大変だった。ポーカー用のチップを木工用ボンドで一枚ずつくっつけ、油性マーカーで慎重に絵を塗り、二三日乾かさなきゃいけない。その間部屋はボンドの匂いで臭くなるし、これを何セットも作らなきゃいけないと思うと気が滅入った。多分、予算も簡単に底をつく。

こうして、ゲームを人数分用意する、という段階でこの計画は頓挫したのであった。その先に集客とか会場確保とか、スタッフにルールを教え込むとか、いろんな大変な手続きの数々の、さらにもっと手前の段階で、「この企画は実現できない」と思ったのだった。

 

 

 

この企画は著作権フリーです。私は無理でしたが、実現できる方は実現してください。泣いて喜びます。

もしくは、「こういうのが手筋かもよ」とか考察された方もご一報いだけたら嬉しいです。多分ご一報いただける時点で私より確実に強いと思うけど。(将棋部とかに持って行こうかな...。)

あと、せっかく作ったので、このゲームやってみたいという方はお声かけください。予定が合えば持っていきます(チェスクロックも一緒に)。

 

 

 

無力を恥じつつ。

けいとけー

「汝はイカ東なりや?」(イカ東人狼ゲーム)《やってみたいけど実現しなさそうな企画を書く》

やってみたいけど実現しなさそうな企画を書いてみるよ。私の実力は実現に足りないので、誰かやってください

 

用意する人

 

「市民チーム」

・お互いの顔を知らない東大生4人

 

人狼チーム」

・非東大生の大学生2人(これは顔見知りで良い)

・イカ東3人(これは顔見知りで良い)

 

勝利条件。

イカ東3人は、非東大生の大学生2人を、制限時間(これは任意)以内に、イカ東っぽい振る舞いやファッションを叩き込み、「偽東大生」を作り上げる。

「偽東大生」となった非東大生2人は、お互いの顔を知らない東大生4人の中に放り込まれる。「偽東大生」以外は、誰が偽東大生なのかわからない。

6人(東大生4人+偽東大生2人)は、10分間ほどトークをする。

トーク終了後、6人は、誰が「偽東大生」かどうかを投票し、もっとも票を多く集めたものが排除される。

排除が終わったら、再度10分間ほどトークをする。

投票で排除をする。

この流れを、偽東大生が0人になるか、偽東大生と東大生が同数になるまで続ける。偽東大生が0人になったら市民チーム(東大生4人)の勝ち。同数になったら、人狼チーム(イカ東3人+非東大生の大学生2人)の勝ち。

 

面白そうな点

「小手先15cmで、イカ東は作れる?」という問い。

「お前東大生じゃないだろ」という質問による、自尊心に対するほんのりとしたダメージ。

6人の疑心暗鬼。

「イカ東」という概念が、実は脆弱なものだということが示されるかもしれない。

はたまた、東大生は隠しきれないオーラがあることが示されるかもしれない。

少なくとも、「イカ東」という概念へのアンチテーゼにはなるだろう。

 

むずい点

全く顔を知らない東大生4人を集められるほど人脈がなかった。

 

 

 

誰かやってください

ディープラーニング以後の未来を予想してみたら、怖かった

(けいとけーです。唐突に書きたくなったので、つらつらと書きます。)

 

ディープラーニングが職を奪う、とかいうの、もう聞き飽きました。なので、ここでは逆に、ディープラーニング以後の未来って何なのかを予想しようと思います。

 

結論から先に言ってしまうと、ディープラーニングが普及した社会では、世界のほとんどの人々が「アンケートに答える」仕事に従事し、残りの人々は「質問を考える」仕事に従事することになるでしょう。

 

ディープラーニングというのは、ざっくり言ってしまえば、莫大なサンプルを材料に、それらを数理的に解析して、最適解を出す技術です(厳密には違うと思うけど)。つまり、ディープラーニングが得意な分野(そして人の仕事が奪われる分野)というのは、サンプルが莫大にある分野ってわけです。

2017年現在、サンプルが莫大にある分野っていうと、医療や交通量調整とか作曲とか金融とかですかね。こういったものに関しては、近い将来ディープラーニングによってある程度の結論が出て、失業者が大量に出ることでしょう。

その一方で、ディープラーニング技術を持つ会社は、大量に人員整理を行う一方で、莫大な利益を上げることができます。これらの利益を使ってまずやることは、ディープラーニング技術を活かせるほかの分野への進出です。医療で財を成したら、次は作曲に移り、次はAIによる接客業...みたいな感じで、多角化を推し進めていくことでしょう。(多角化と言っても、中核となる技術はディープラーニングただ1つです。その意味では、多角化ですらなく、ただのディープラーニング会社ってだけかも。)

このような流れが数年続けば、社会の中に存在する「多サンプル問題」は、すべてディープラーニングによって解決し尽くされることになります。既に社会にある問題は解決しつくされてしまったら、次なる投資先はどこになるのでしょうか。この問いが、先ほど申し上げた「アンケートに答える」仕事を導き出します。

 

つまり、ディープラーニングはサンプルがないと使えないんだったら、金を払ってサンプルを集めりゃいいじゃん、って発想です。幸い、ディープラーニング会社には、これまでの活動で蓄積した資金があります。これらで調査費を出し、たくさんの人を集めて、アンケートに答えてもらう。それらのデータをディープラーニングに入力すれば、問題解決ができます。既存のデータを用いる以前までの仕事よりはコストはかかりますが、資金を塩漬けにしておくよりかは良い経営判断になるでしょう。

そして、これらの事業は国家(その時にまだ国民国家が存在していれば、ですが)にも喜ばれます。たとえば、「一番健康に良くて、おいしい献立は何か?」という研究を企業が設定したとすれば、被験者にはサンプルとして健康的な食事が配られます(まあ、一部にはマズい食事が配られるかも)。これらは、ある意味では「食糧配給」というベーシックインカムになりますから、失業者の暴動も緩和されますし、飢え死にすることも少なくなるでしょう。

作曲だって、自動生成した曲を被験者に聴かせ、「どの曲が良かったか」というアンケートを取りまくれば、さらに精密な「ヒット曲」を生み出すことができるでしょう。企業がディープラーニングで儲かり続け、サンプルを収集し続ける限り、失業者もアンケートに答えるだけで、衣食住と娯楽を保証された状態で生活できるかもしれません。

でもこんな生活、「生きがい」が無くなりそうで嫌になるって? いえいえ。そんな不満は、「アンケートに答える」という行為自体が、和らげてくれます。「私は少なくともこの社会のために役立っているんだ」という些細な自己効力感が、その人の生きる糧となり始めるのです。街はデータ収集用のカメラによって常に監視され、もはやプライバシーなど存在しないというのに...。

「アンケートに答える」仕事に従事するほとんどの人々は、そんな暮らしをするでしょう。一方で、「質問を考える」仕事に従事する人々は、会社に残り、まだ見ぬ未解決問題を創造し、企画書を出し続ける日々を送ることになるでしょう。ひょっとしたら、「質問を考える」人々の間には、一種の特権意識が芽生えているかもしれません。「”奴ら”は考えることも無く、ただ生きながらえている動物みたいなものだ。創造的に問いを探し出す我々こそが、真の人間なのだ」、みたいな。

 

 

...ごめんなさい、最近、ジョージ・オーウェルの「1984」を読んだせいでこんな想像をよくするんです。でもこれ割とあり得ますよね、というか実現しつつありますよね。どうしよう...、せっかくなら「質問を考える」方に行きたいけど、行けるのかな...。